2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックの正式種目に空手がついに認定されました。ここまでの長い道のりには多くの人々の努力があり、それがようやく実を結んだ結果だと思います。80年代まだそれほど注目されていなかった空手にブームを起こした映画があります。1984年公開「ベスト・キッド(The Karate Kid)」です。
簡単なあらすじとしては、まだ空手を始めて間もない主人公のダニエル(ラルフ・マッチオ)が、母親と二人で暮らすアパートの管理人の沖縄出身の日系人ミヤギ(ノリユキ・パット・モリタ)との交流を通じて、空手から心技体とは何かを学んでいく姿を描いています。
当時、ミヤギ独自の一見空手とはかけ離れたトレーニング方法の車のワックスがけ、床磨き、垣根のペンキ塗りが話題にもなりました。ワックスがけは特に有名です。かなり斬新でした。中には試してみた人もいたかもしれませんね。

空手?のトレーニング中のダニエルとミヤギ
車のワックスがけ Wax On… Wax Off…

垣根のペンキ塗り Up… Down…
転校先の学校での恋愛や、敵対グループと決戦までの空手の修行によって、高校生のダニエルが成長していくわかりやすい映画です。しかし、年齢を重ねるとミヤギがダニエルに語る言葉の意味の深さに気づき、これは単なる青春映画ではなさそうだと思えてきたのです。ミヤギとはどのような人物なのでしょうか。
ミヤギが伝えたかったこと
ミヤギは空手を教えてほしいとお願いしてきたダニエルに「暴力は何も解決しない」と諭します。空手は防御のみで戦わないためにするものだと教えるのです。私がこの映画を初めて見た時には、この言葉を全く覚えていませんでしたが、もう一度見直した時に一番印象に残りました。小学生時代から空手を習っていたこともあり、武道で体を鍛えるのは相手と戦い、勝つことが目的なのだと漠然と考えていたからです。
空手には【組手】(相手と競う)と【型(形)】(一人で行なう演武)があります。特に組手は相手あってのものです。ダニエルも組手試合で相手と戦うわけですが、師匠のミヤギはダニエルに例のトレーニングで呼吸法と徹底的に【受け】を身に付けるように訓練するのです。
ダニエルの誕生日にはミヤギは空手だけではなく、人生全てバランスだと話します。がむしゃらに突き進みそうな若いダニエルに、そうすれば全てうまくいくとアドバイスしています。落ち着いた佇まいで流暢ではない英語をゆっくり話すので、言葉に重みがあります。(実際は流暢だったそうです。)理想の指導者ではないかと思います。
ミヤギとノリユキ・パット・モリタの共通点

ノリユキ・パット・モリタ
ある日ミヤギの家を訪れたダニエルは、珍しく酔いつぶれたミヤギから悲しい過去の話を聞きます。ミヤギの若い頃の妻の古い写真を前にして、彼は第二次世界大戦で戦った兵士で、戦争中に彼もいた日系人収容所で妊娠中の妻が、お腹の子供と共に死亡していた事実を知るのです。涙をこぼしながら寝てしまうミヤギをベッドまで運び、いつもと立場が逆転してダニエルが優しく布団をかける場面は心に響きます。
パット・モリタさんも果樹園で働く移民の息子としてカリフォルニアで生まれ、第二次世界大戦中アリゾナの日系人収容所にいた経験があります。その時代の経験も演技に現れていたのでしょうか。
ベスト・キッドの続編とリメイク版

リメイク版【ベスト・キッド】
この映画の後に続編としてベスト・キッドシリーズ2と3と主人公を変えて4まで制作されました。また映画のリメイク版もあり、ミヤギ役をジャッキー・チェンが演じています。彼が教えるのは空手ではなくカンフーです。リメイク版は見ていないのですが、やはりベスト・キッドは空手のイメージが強いです。
まとめ
- 「ベスト・キッド」は1984年空手ブームを起こした映画
- 空手の独特のトレーニング方法が話題になった
- ミヤギは空手は戦うためではなく、防御のためと主人公に教える
- ミヤギ役のパット・モリタさんも同様に強制収容所にいた経験がある
- ベスト・キッドの続編(2~4)とリメイク版がある
この映画はダニエルが宿敵と戦う空手の大会が一つの見どころです。ダニエルが勝ち進んでいく様子にハラハラしてきます。危機一髪のところで披露した必殺技、鶴の舞もまた話題になりました。

必殺【鶴の舞】
師匠ミヤギは常に弟子を「ダニエルさん」と呼び、小柄で穏やかな老人として空手の達人には見えない風貌です。本当は相手をなぎ倒すほど強いのです。そこがパット・モリタさんのはまり役でした。
当初ミヤギ役は三船敏郎さんに声がかかっていたようですが、パット・モリタさんだからこそ続編ができるほどヒットしたのでしょうね。残念なことに2005年11月24日に73歳でお亡くなりになっていました。最後に共演したダニエル役ラルフ・マッチオさんの言葉です。「彼と共演できたことはとても光栄なことでした。永遠に僕の“センセイ”です。」