京都・六波羅蜜寺の空也上人とは?民衆を救った「市聖(いちのひじり)」

ずいぶん前にラジオで「空也上人がいた」(山田太一原作)の放送を聞いて以来、いつか空也上人像を見に行こうという願いが叶い、先日京都の六波羅蜜寺に行ってきました。空也上人とはどのような人物だったのでしょうか?

六波羅蜜寺

空也上人とは

平安時代の天暦5年(951年)に西光寺を開きました。後にこの寺は弟子の中信によって、六波羅蜜寺と改名されました。西国三十三所の観音菩薩巡りの第17番の礼所です。巡礼路は和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と近畿圏へ続きます。六波羅蜜寺は、平家ゆかりのお寺でもあります。

空也上人は、当時の京都の疫病を鎮めるため自ら十一面観音像を刻みました。この観音像を手押し車に乗せて市中を廻り、病人へ梅干と結昆布の入ったお茶を振る舞い、踊り歩きながら念仏を唱える「踊念仏」で病魔を鎮めました。このお茶は、現在でも「皇服茶」として残っています。本尊十一面観音は、像高258cmもある大きな立像です。本堂に安置され非公開ですが、12年に一度の辰年が御開帳です。

十一面観音像(平安時代)

空也上人は、日本で初めて民衆に「南無阿弥陀仏」の念仏の意味を広めた「念仏の祖」と言われています。また諸国を回りながら道路や橋の建設や補修も行い、町に住んで布教したところから「市聖(いちのひじり)」や「阿弥陀聖(あみだひじり)」と呼ばれました。僧侶でありながら自分の手で観音像を作り、お寺から出て困っている人々を助ける空也上人は、とても慕われていたのでしょうね。

空也上人立像

空也上人立像(鎌倉時代)

空也上人立像は、運慶の四男康勝の作品で重要文化財です。まず特徴的なところが口元です。口から枝が伸びてその上に何か乗せているように見えますね。これは空也上人が唱えた「南無阿弥陀仏」が6体の阿弥陀仏となって現れた姿を表現しています。とてもユニークで一度見たら忘れられません。

また手にしている杖にも意味があります。空也上人が、京都の鞍馬山で修行中に可愛がっていた鹿が、不幸にも定盛という猟師に撃たれてしまいました。それを知り、悲しんだ空也上人がその革と角を受け取り、鹿の角は杖につけ革を衣服として生涯身につけました。猟師の定盛は、後悔して空也上人の弟子となり、念仏を広めていったそうです。

まとめ

  • 空也上人は六波羅蜜寺(当時は西光寺)を開き、悪疫退散を祈念した十一面観音像を自作
  • 日本で初めて念仏を説いて広めた「念仏の祖」
  • 空也上人立像は運慶の四男康勝の作品で口から「南無阿弥陀仏」が6体の阿弥陀仏となって現れている姿が表現されている

いかがでしたか?私が空也上人を知った「空也上人がいた」の話では、それぞれ事情を抱えた3人が登場します。その中の老人が、心の奥に消えずに残る深い罪悪感を持ち続けている青年に、京都まで行って空也上人立像を見てくるように勧めるのです。空也上人は、心に傷をもつ人や悩める人、どんな人にも寄り添いともに歩いてくれる存在として登場していました。その空也上人が、どのような表情をしているのかとても気になっていたのです。

空也上人の立像を実際に見ると、しばらく離れられないくらい釘付けになっていました。顔は穏やかで慈愛に満ちて、また迫力もありました。もし空也上人が生きて目の前にいたとしたら、何も余計なことは言わず、ただ黙って話を聞いてくれるような感じです。私は気づきませんでしたが、よく見ると左右で表情が違うそうです。同じ場所には平清盛坐像もあります。教科書にある有名な像が見られるのは貴重な体験でした。

六波羅蜜寺は、清水寺に行く途中にあります。市バス(206系統)を利用「清水道」で下車して徒歩5,6分くらいでした。ここはひっそりして落ち着いて参拝できます。京都観光は市バス・京都バス一日乗車券カード(500円)を購入すると便利です。一日乗り放題で主要な観光地はこのバスで大体回れます。六波羅蜜寺を訪れる時は宝物館まで足を運び、空也上人を拝観してみて下さい。何か語りかけるように迎えてくれるでしょう。

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